ノベルなびアップロード

桜<平野神社>

黒衣
ジャンル:人情
場所:平野神社
    hirano-jinja Shrine

 牧野の表情は穏やかだった。
 「ちょっと、寄り道してもよろしいでしょうか」と、一回り下の自分にも敬語で話し掛け、神戸から京都、京都から東京、東京から仙台というルートで指定券申込書の空欄を埋めた。
 最後なのだ、途中下車一回くらいのロスなら経理も見逃してくれるだろう。自分は何も言わず、同じルートで東京までの切符を自動券売機で買った。
 早期退職という名目のリストラで辞めていく人間を送るのは、人事部に抜擢されて以来、慣らされている。けれど、四十過ぎという、まだ先のある歳で社に放擲される人間を見るのは初めてだった。本社まで上り詰めたところで神戸へ飛ばされ、彼なりの奮戦を経た後の討ち死に。既に夫人は荷物をまとめて二人の故郷へ帰ったという。とはいえ、特に感慨もない。彼の「護送」は京都で終わり、自分は本社で所用を片付けるのみだ。子供ではあるまいし、東北新幹線は独りで乗ってもらう。
 京都まで牧野は無口だった。自分の後任のことなど話さず、いい天気だなあ、とか、まだ夜はコートがいりますね、とか、他愛もないことを繰り返し、買ってやった缶ビールにも手を出さなかった。京都駅に着くと、牧野の言う神社を携帯のナビサイトで調べ、バスに乗った。バスは淡々と夕刻の京都を走り、平野神社最寄りのバス停で自分達を降ろした。
 既に人々が灯の点いた桜の天井の下を行き交い、そこかしこに簡易な座敷を築いた店では、鍋を囲んで酌み交わすざわめきが響いていた。
 「歩きませんか」
 変わらない様子で牧野は言う。慣れた様子で三年前のロックバンドの歌を口ずさむ。桜と恋を歌った歌だ。
 舞台効果めいた桜色の下を、自分達は歩く。花見の生き生きとした乱雑さが、却って寂しかった。
 牧野もそう思ったのだろうか。歩調は落とさず、見上げながら呟いた。
 「ここの桜も、もう見ることはないのかなぁ」
 東京駅で牧野と別れた。最後まで牧野は柔和で、静かに歩いて改札の向こうへ消えた。

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