永子
ジャンル:短編
場所:京都芸術センター
Kyoto Art Center
彼がわたしを見ている。
こちらを向いてはいない。ずっと手元の本に目を落としている。けど、そんなもの見てはいない。
わたしは知ってる。そこには何も書かれていないのだ。
はじめて見たのはギャラリーに来たときだった。
しっかりした石柱の門を入って石畳の道を進み、明るい玄関を入る。
ここは昔、学校だった。こどもの数が減って学校でいる必要がなくなると芸術のための場所になった(自分を「芸術」というひとはちょっと胡散臭いと思う)。
ゲートボールをやっているのを右手に見ながら、向かいの校舎まで校庭の縁を歩く。知らない場所なのになつかしい。ここはたぶん、みんなになつかしい場所。
重い鉄のドアを引くと、中はぼんやりとくらい。ドアを閉めるとシンとする。そこがギャラリー。
部屋の端に木片で組み上げられたタワーがあった。キャンプファイアーの薪みたいだ。反対側にはアクリル板でできた同じ形のタワーがある。内側からぼんやりと光っている。これは厳密な数学的法則に従って組まれている、らしい。置いてあった説明書きを、校庭の縁を歩きながら読む。本館まで戻ってくる。
校舎の床は木目細工。階段の真ん中は磨り減っていて、右の端っこに足を乗せてみる。手すりにも瀟洒な細工。そのまま、一番上まであがってみる。下には何人かのひとがいたけれど、二階、三階にはだれもいない。黒い木の引き戸が黙って並んでいる、休日の学校。立入禁止、とは書かれていなかった。でも忍び込んだみたいで、かすかなうしろめたさが、楽しい。踊場の壁にアーチ型の大きな硝子窓。その硝子に手をふれてから見つからないように急いで降りた。そのまま玄関を出たところで本を読んでいた彼と目があった、気がした。彼がくすっと笑った気がした。わけもなく赤面して、目を伏せて通り過ぎた。
今日も門を入ったところからわたしは彼を見ている。彼がわたしを見ている。気づいていないふりをして通り過ぎる。彼も知らん顔をしている。
教室を改装した喫茶店でお茶を飲んでいると、隣の席のおばさんたちが彼の噂をしていた。
―昔の小学校ってどこにでもあれがあったわよね。ほら、薪背負って本読んでる…
わかってないなあ。
彼はここにしかいない。学校はどこにでもあるけど、同じ学校なんてひとつもないんだ。
帰りに見ると、彼が手にしている本の表一面に一円玉が並べられていた。
ちっ、ライバルだ。彼を気にしてるひとがいる。